総文祭によせて

昨日から幕をあけた第39回全国高等学校総合文化祭、大津なぎさ公園一帯で華やかなパレードが予定されていたけれども、あいにくの夕立で取りやめになった。晴れ舞台にむけて練習を重ねて来られた生徒さんたちは、一番残念だっただろうし、主催者は、実施判断をどの時点でするか? その後、天候はどうなるか? とっても気をもまれたことだろうと思う。琵琶湖のほとりで、楽しそうな音楽が聞こえてくる・・・想像するだけで幸せな雰囲気が広がって、素敵な時間を不特定多数の人たちと共有できるだろう、私も行ってみようと心つもりしていたので、残念だ。

総文祭に関して、強烈な印象は、2011年に遡る。3.11で前代未聞の大規模な原発事故があったその年に、当番県であった福島県内で規定部門の一部のみに規模縮小して開催されたが、仮に私が主催県の県議会議員であれば、どうするか?ずっと考えさせられてきたからである。福島県民が暮らしておられるのだから、全国から集まってもいいではないか? という考えにも触れたが、阪神淡路大震災の年、春の選抜野球が実施されたのとは、環境が全く違う。私なら、中止やむなし と考えていた。

その前、2010年に、ある文化団体の男性から、1通の手紙をいただいた。総文祭の滋賀県開催が決まったが、ご自身の関わられる「規定部門」演目に関して、滋賀県内の高校では部活動で全く実施されておらず、開催までに間にあうように協力したい。ついては、教育を標榜する県議会議員として、側面から支援をしてほしい と丁寧に資料も添えられていた。

その部門は、大人でも最近では減ってきていると想われるのに、高校の部活でやってないのはなりゆきだろう。それを支援するとは、どのような教育的意義があるか? 考えながら、その男性の方と面談させていただいた後、盛大な総文祭と文部予算について、考える機会をもらっていた。カネを出すからには、ヒモもついているわけだ。最も活動的な高校時代に、全国各地を順に開催し、文化の振興を図ろうという大趣旨は是としても、規定部門には開催県は絶対参加しなくてはならないとのこともわかった。

2012年、富山大会では政務活動費を活用して、その部門の発表本番を終日鑑賞し、高校生の清新な活動ぶりを堪能させてもらった。演技には優劣をつけない というものの、ド素人の私にも伝わってくるものがあり、私の後部座席の中からは、教育の域をこえた声がつぶやかれていた。次年度開催県である長崎の高校生は和服正装で、地域による差であればいいが と願いたくなったのである。

そして今年、高校生自身による実行委員会が積み重ねられ、びわこ大会にこぎつけられた。8月1日までの開催期間中、各地の高校生の交流、県民と若者との交わりが豊かになることと、無事を祈りたい。あわせて、弁論部門では、文部科学大臣旗が贈られるという。はたして、高校生の自由な弁論が闊達に行われるだろうか? 晴れ舞台までに、「自粛」ムードがないかどうか? 何しろ、憲法より先に、教育基本法の「改正」をした

大津駅前の歓迎ポスター

大津駅前の歓迎ポスター

安倍総理、安保関連法案を戦争法案と表現した相手によって、発言撤回をせまったり、地方新聞抑圧発言など、強靭なる切れ目のない与党支援の政治状況から見て、おとなの文化レベルもあわせて問われる重要な期間でもあると思っている。

文化は人々が自由でなければ豊かにならない。教育は、過ちを繰り返さないように学ぶ営み、理想を求めて努力する力を育む営みである。

暑い中、みなさん、どうぞ気をつけて!